「次の北京の冬のオリンピックもテレビで見れるかな」
「でもその前にパラリンピックがあるね」
はなさんは「楽しんでんのはおかあたんだけでしょーが」って顔でこっちを見てる。
「そんなことよりご飯好き嫌いしないで食べなよ」
そんな話をしてた8月上旬。
はなさんは子犬の頃からたまにご飯を選り好みして食べたりしてたので、
「まーたカリカリを避けて食べてるし」と呆れてた。
なので、こちらとしてもいつものようにあの手この手でご飯をあげてた。
缶詰の割合を増やしてみたり、カリカリをふやかして食べやすくしてみたり、
お腹空かせるためにちょっと長めに散歩に連れていってみたり。
それでもはなさんは食べたり食べなかったり。
「むう」
もうこうなったらはなさんが好きなきゅうりをすりおろして混ぜよう。缶詰もちょっと多めに。
「もぐもぐ」
やったー!食べたー!!
しかし、次の日には見向きもしない。
「頑固なやっちゃなー」
次の日、そして次の日とはなさんはご飯をほとんど食べない。少し食べると戻してしまう。
今まで1日に何度もシッコしてたのに回数も減っていく。
慢性腎臓病にもなりかけていたので、(サプリメント等で安定する程度)腎臓の具合も気になってた。
「はなさん、ご飯だよ」
ぷいっ
どっか行ってしまう。
世帯主と「21日に薬もらいに病院行くからその時相談してみよう」と話してた。
お盆休み辺りになると、はなさんは足元もヨタヨタしてきて、痩せてきている。
「はなさん、なんで食べないの。そんな痩せたらお腹すいてるでしょ」
食べる体力もないのかなと、缶詰をすり鉢でペースト状にして注射器であげてみたりした。
口には入れるけど、時間経つと戻してしまう。
「これは21日まで待ってられないかも」
そう思い、病院のお盆休み明けの水曜日に友達の車に乗せてもらい病院へ連れて行った。
血液検査を受けたら、はなさんの腎臓の数値が悪い方に振り切ってた。
「入院しましょう」
「尿毒症になってて、もしかしたら膵炎になってるかも」
この時の私は原因がわかってホッとしてた。治療をどうするかもハッキリしてたので、入院して回復したらいいなと思ってた。
はなさんを預けて家に戻り、ホッとして「ところで尿毒症ってどんな病気なんだろう」とググってみた。
検索窓に「犬 尿毒症」と入れると、検索候補に「犬 尿毒症 余命」とか「犬 尿毒症 最期」とかが出て、
「あ…そういう病気なのか…」と愕然とした。
でもはなさんが退院してから家の中で歩き回れるように滑りにくいワックスをかけたり、
汚れたタオルとかを洗濯して過ごしてた。
毎日病院に電話をして、様子を聞いても「あまり変わらないですね。でもシッコが出てきてるのはいい傾向ですよ」と色々細かく教えてくださった。
「ただ、やはり膵炎にもなってたので、同時に治療してます。はなちゃん、お腹痛かったんじゃないかな」
お腹痛かったのか…気づいてあげれなくて申し訳ない気持ちになった。
木曜日、はなさん入院2日目。
夜お風呂入ってボーッとしてたら、病院から電話。
「まさか!そんな!」とドキドキしながら電話に出たら、
「少し大きな痙攣が出たので、念のため一度会いにきてもらえますか?」
気が動転するってこういう事を言うんだなってくらい動転した。
「た、タクシーってどうやって呼ぶんだっけ?!」
これくらい動揺してた。
タクシーに乗っても病院の行き方の説明もあたふたして、地図アプリで場所出して、
「ここです!」としか言えないでいた。
タクシーで病院へ向かう間がものすごく長く感じた。
病院へ着いてから、先生に促されてはなさんがいる場所へ向かう。
はなさんはグッタリしてるが生きてた。
もうこの辺りから「はなさん生きててよかった」と思うようになる。
先生の話では少し痙攣は出たものの、今夜はこのまま病院で入院してもいいと思うけども、
明日からは家で過ごしたほうがいいんじゃないだろうかとの事。
最後は自宅で…と言う事なのだろう。
「なんとかご主人が帰ってくるまでは頑張ってほしいですね」
とりあえず、明日午前中に病院へ行って、夕方辺りに迎えに行くことにした。
金曜日、はなさん入院3日目。
午前中に地下鉄で病院へ向かう。
はなさん生きてた。よかった。シッコは出ているものの、容態はあまり変わらないとの事。
夕方どうやってはなさんを迎えに行こうかと考えながら、一度私は帰宅。
帰宅途中、友達にLINEしたら、「夕方なら少し時間あるから車で迎えに行けるよ」と言ってくれた。ほんとありがたい。
夕方、はなさんを迎えに行く。
病院で痙攣が出たときに挿す座薬をもらい帰宅。
「痙攣が出たら、座薬挿すかどうか迷ったら挿してね」と先生が言ってくれた。
迎えに行く前に用意しておいた寝床に寝かせる。
ここからは世帯主が戻ってくるまで、はなさんにがんばってもらうしかない。
世帯主は仕事終わって急いでも夜9時頃じゃないと帰ってこれない。
なんとかそれまでは!とはなさんの口元にスポイトでお水をあげてみたり、りんごのすり下ろし汁をあげてみたりした。たまに抱っこしてみたり。
はなさんは水を与えるとたまにペチャペチャしたりする。
その姿だけでも嬉しい。
抱っこするのもグッタリしてるはなさんはグニャグニャなので、一苦労。
大きめの声で呼んだり、目の前で手を振って見たりするとこちらを見てるように見える。
「はなさん、おとうたんもうすぐ帰ってくるよー」と呼んでみたり。
金曜日20時頃、はなさん少し痙攣する。脚がバタバタ動く。
「うわ!うわ!どうしよ!座薬挿すか?挿すか?」
先生の「座薬は迷ったら挿してくださいね」を思い出し、座薬を挿す。
はなさん落ち着く。少しホッとしつつドキドキする。
22時頃、世帯主帰宅。
「はなさーん。おとうたん帰ってきたよー」
世帯主に病状などなどを話す。世帯主が帰ってきて少しホッとする。
23時頃、はなさん先程より大きな痙攣。
世帯主と慌てる。掛けてたタオルケットを剥がしてみると、黒い便の下痢をしてた。
あと1回分座薬をもらってたので、慌てながら座薬を挿す。なかなかうまく挿せない。
なんとか座薬を挿し、はなさん落ち着く。
そこからは先に世帯主が3時間寝て、そのあと交代して私が3時間寝て、夜を明かした。
はなさんはたまに小さな痙攣(脚がピクピクする程度)をしたり、水をペチャペチャするけども寝ているようだった。
土曜日。
点滴をしてもらいに病院へ。
容態は変わらない。先生が指先に缶詰を付けて鼻先に近づけてみたけど、特に反応なし。
いびきのような呼吸をするので鼻を見てもらったら、鼻くそが付いてたので取ってもらう。水を付けた綿棒とかで取ってみるといいよと教えてもらう。体温が少し上がってて先生少し驚いてた。
2〜3時間おきに縦抱っこするといいとのこと。(水分が飲み込みやすくするためと誤嚥を防ぐため)
病院から戻り、短時間の睡眠だと疲れるから、この日は5時間ずつ寝て交代ではなさんを見て夜を明かした。
日曜日。
点滴をしてもらいに病院へ。
口元にスポイトで水を与えてもペチャつく回数は減った。
いびきのような呼吸なので、また鼻くそを取ってもらう。
次の日は病院が休みだけど、先生と時間を決めて、その時間に行って点滴をしてもらうことになり帰宅。
もう水はペチャつかないけど、口元が乾燥しないようにコットンに水を含ませて水をあげてみる。はなさんはぐーぐーいびきをかいてるようだった。
世帯主は夕方18時に単身赴任先に帰るので、その前に少し昼寝をした。
世帯主が昼寝から起きてきた時、私ははなさんの口元に水をあげてた。
ふと、なんとなく「水飲んでないけど、縦抱っこしておこうかな」と
グニャグニャになってるはなさんを「よっこらしょ」と抱きかかえ、縦抱っこをする。
はなさんはいびきをかいてるようだった。目を開ける力もないのか目も閉じている。
はなさんを抱っこしながら、汚れたトイレシートとかを片付けてたら、
「カハッ」と小さな音がした。
「ん?」はなさんを見てみると
片目が開いてて、少し口を開いて笑ってるように見えた。
「はなさん?」はなさんの鼻先に手を当ててみる。
呼吸してない。
「はなさん?…はなさん!!」はなさんの胸の辺りに手を当ててみる。
呼吸してない。
涙が自然とポロポロ出ながら「はなさん!…はなさん!」と呼ぶ。
昼寝から起きてボーッとしてた世帯主もびっくりして「と、とりあえず病院に電話する!」
時間を見たら16時過ぎてた。
「今から病院行く!」と、曜日を勘違いしてた私はそんなことを言ってた。(日曜日は午後休診)
世帯主と交互に抱っこして「ありがとうありがとう」とはなさんに話しかけた。
はなさんが旅立った瞬間でした。
あっという間の2週間。
はなさんは世帯主がいる週末ギリギリまでがんばりました。
なんなら、世帯主が単身赴任先へ戻る2時間前に旅立ったことにより、
世帯主と2人ではなさんの身体を拭いて綺麗にしたり、その後の日程調整の相談ができました。
そこまではなさんは考えてくれたのかもしれません。
はなさん、すごい。あなどれない。
はなさんを飼うとき、「犬の一生を最後までちゃんと見る」というのが目標でした。
それは当然のことなんだけど、子犬の頃からいろんな事を覚えたり、成犬になって元気に過ごしたり、老犬になって昔はできたことができなくなる姿をちゃんと見たかった。
はなさんが旅立った時、もちろん寂しさはあったけど、最後まで一緒に過ごして見れたことの達成感もありました。ものすごく勉強になりました。
「はなさん、おかあたんのこと好きかい?」
はなさんと過ごした15年と10ヶ月、何度この質問をしたでしょうか。
質問するたびにはなさんは「なんじゃそりゃ」って顔をしてました。
はなさんが旅立った時、
片目はこちらを見てて、口を開いて少し笑ってるように見えたはなさんは、
「おかあたん、好きだよ」
と言ってくれたんじゃないか。
はなさんが旅立った日の夜、布団の中でそんな事を思ったら涙が止まりませんでした。
声をあげて泣きました。
すごく自分に都合の良い考えかもしれないけど、そんな風に思いました。
はなさんのブログを書いてたんだから、最後もちゃんと書かないと。と思い書きました。
インターネットを通じていろんな人がはなさんのことを知ってくれました。
もちろんインターネットの世界だけでなく世帯主の草野球チームのみなさんとか、
たくさんの人にかわいがってもらいました。
知らない人が苦手なはなさん。
社会性を身につけることがちゃんと出来なかったのは私の反省点です。
はなさんのこと知ってくれてありがとうございます。
我が家にとっていろんなことがあった面白い15年と10ヶ月でした。